fatima: (hana - japan)
[personal profile] fatima
为什么啊……
果然是一日BT,年年都BT……
不过!话说回来!
为什么BT的都是佐卡!!!!而且还BT得这么ORZ!!!
鸣卡可以玩悲情,可以玩那啥啥,但是鸣卡文都不BT啊!
就连同一个作者写的都有这么大区别……我没语言了……

不过人家还是想回日本东京去住嘛…………哀怨地蹲。
分明是没有玩够。-_-

树,这个是给你的扫描……书太大了没扫完-_-
http://pics.livejournal.com/snowlight/pic/0003byha

「帰蝶さま!!」光秀が叫ぶ。
「光秀様、わたくしは「織田信長」の妻で御座いまする。最後まで、殿と死ぬ覚悟!!」
その時であった、濃姫が背後から「明智軍」の兵に斬られる。濃姫は、花が散るように倒れた。
「お濃!!」
「帰蝶様!!」
信長が、濃姫の傍らで濃姫の体を支える。
「殿…わたくしは、生涯「織田信長」の妻で御座いまする」っと笑みを浮かべ、信長の腕の中で果てた。
「お濃!!」信長が叫ぶと同時に、明智軍の兵の矢が、信長の胸を貫く。
「此処までじゃ。火を放て、光秀に儂の首を獲られるのでは、ないぞ!」
叫ぶと、炎に包まれた「本能寺」に濃を抱きかかえ、消えていった。「濃姫様!!帰蝶さま!!」光秀の空しく、叫ぶ声だけが 本能寺にこだました。

*

本能寺に攻め込んだ光秀を迎え撃つ信長、蘭丸の
「謀反にございまする!」
の報に「謀反?誰じゃ」の言葉。
「明智日向守光秀!」
はっとする濃姫と、そちらへ視線を走らせる信長。
一笑し、
「是非に及ばず!」
と蘭丸の「早くお逃げください」の言葉を蹴り飛ばして立ち上がります。
勝算があって相手をするのではなくて、逃げられないと判断してその場に残るのは覚悟が違います(既に涙目)
濃姫に女子供を逃がすように指示し、最後に一言。
「あの世とやらで見えようぞ」
黙って頷く濃姫。
そして小姓団を率いて戦場へ向かいます。

でもね。
いくら小勢のところへ攻め込まれたからって殿が最前線に出る必要はないんじゃないですか!?
舞台は本能寺の大階段。
いつの間に鉄砲の練習をしたのか、的確に敵を狙います。
弾除けの竹の束を結ぶ紐を撃ち切る信長様。屋根の瓦も撃ち落しちゃうぜ!
しかしそんなことはまだ序の口。
我々の予想を裏切る新展開は、刀(信長様はサーベルでしたが)を手にとっての乱戦になってから。
「殿!」
と叫びつつ信長に駆け寄る赤い打掛。
濃姫参戦!そんなバカな!
最後の最後で天魔信長の妻はやる気と覚悟が違いました。
微笑みながら敵と片手で切り合う姿は最強の名に相応しいかと。

「あの世で見えると言っても殿は地獄、私は極楽。死に別れることになってしまいます」
「抜かしよるわ」

信長の眼力で気を失っていた儚い濃姫は幻でした。信長より切った数が多いんですよ!(うわぁ)
このまま夫婦で敵を殲滅してしまうのではないかと思わせるも一瞬のこと、銃弾を受けて信長が倒れます。
「殿!」
と倒れる信長の手を取り蹲る濃姫。
「痛いのう」と呟き、「わしも死ぬるか」と濃姫に問う姿は信長が人に戻った瞬間でした。
「殿の名こそ、永久に残りましょうぞ」
涙混じりに囁く濃姫の目の前で、信長の体を支える腕にもう一発。
明智の狙撃手は容赦無い!(涙目)
「殿!殿!!」
と叫ぶ濃姫の声で、敵と切り結んでいた小姓団がようやく気付いて駆けつけてくれました(遅い!)
信長の「首を渡してはならん!」の言葉に忠実に従うべく、死にかけの信長を引き摺って奥へ消えます。織田の人も容赦なかった…!
その場に残った濃姫はなおも敵を切り続けますが、こちらも鉄砲(それも一斉射撃)の前に大階段に倒れ伏します。
その様を見ていた光秀が思わず
「帰蝶様ー!!」
と叫びました、が、謀反を起こしたお前にその名前を呼ぶ資格はないわーっ!
濃姫様だけでもご無事で、なんて虫のいい話なのです。
濃姫は信長と天命を共にする覚悟をしてるんだから!

炎に包まれる奥の間の真ん中で、肺をやられたのか引き攣った様な呼吸しながら短刀をくわえる信長。ゆっくりと右手で抜き取り刃を首筋へ。
声だけはしっかりと、いつもの低音でした。
最期の言葉は、

「ゆめまぼろしのごとくなり」

光秀はとうとう信長の首を手に入れることはできなかったようです。

*

明智光秀
「野望をあきらめたらこの私に何が残るというのです?」

 美濃の戦国大名・斉藤道三に仕え、彼の娘でり、後に織田信長の妻となる帰蝶の教育係を務めた。
 帰蝶に想いを寄せており、信長と帰蝶の縁談に反対したため、道三の怒りを買い、美濃を追放され、各地を放浪する。
 その後、上洛した織田信長の前に現れ、彼に仕官。織田軍内で即座に頭角を現す。だが同時に目的のために手段を選ばない冷徹さから、帰蝶をはじめ多くの者の反発を招いていった。
 徐々に出世を重ね、主君・信長や織田軍内からも絶大な信頼を得る重臣となる。しかし、その裏では反織田勢力と結託。主君・信長を亡き者にし、天下乗っ取りの陰謀を企てていた。陰謀を悟り自分を止めに来た帰蝶を幽閉し、着々と謀反の機会を狙っていた。
 そして天正十(1582)年・六月二日、史上名高き「本能寺の変」を引き起こす。自ら信長の前に姿を現し彼に止めを刺ささんとするも、光秀と刺し違えるつもりで本能寺までたどり着いた帰蝶の活躍で、信長の命を奪うのに失敗する。
 それでも織田軍の勢力を削ぎ落とす事に成功した光秀は、天下を手に入れ、信長を亡き者にし、帰蝶の愛を再び取り戻すために、あらゆる手段を講じる。 光秀に反発する室町幕府将軍・足利義昭によって一度は幽閉されるが、織田軍が勢力を盛り返し京を奪還した後、幕府の実権を握り、幕府軍の総帥となる。
 光秀はついに当時世界最大級の大国であったイスパニア(現在のスペイン)軍と結び、博多で信長との最終決戦に臨む。
 幕府軍や西国大名の軍勢、そして世界最強のイスパニア軍を利用しても織田軍に打ち勝つことができず、死闘の末、己の犯した罪や過ちを悔いることなく絶命。

 物語の設定上、役割としては主人公である織田信長のライバルなのだが、彼の所業や性格を思えば彼を十分悪役として捉えることができる。
 光秀は美濃にいた頃は繊細で優しい性格の少年だった。その頃、帰蝶に「争いのない平和な世をつくる」と約束した。帰蝶が今川軍に襲撃され、初陣直前の信長が帰蝶を救い出したときが、信長との運命の出会いだった。
 その後光秀と帰蝶は恋仲となるが、帰蝶の父・道三が帰蝶を信長に嫁がせることに。信長を世間の風聞通り「うつけ」としか思っていない光秀はこの縁談に猛反対する。しかし信長の英雄としての資質を見抜き、彼に期待を寄せる道三は光秀に激怒し、光秀は美濃を追放される。おそらくこの時、 光秀の中で信長と道三に対する激しい憎悪の感情が芽生えたと思われる。
 その後、諸国を放浪し辛酸をなめ、研鑽の末、一流の武芸・軍略を身につけたが、同時に性格も歪んでいったのだろうと思われる。信長に仕官した後、信長に忠誠を尽くしつつも、帰蝶にしきりにアプローチを仕掛けている。帰蝶もまた、心を揺さぶられる。また尊大で冷徹な態度から、前田利家や柴田勝家をはじめとする織田軍古参の将からは当初は反発を受けた。そして徐々に周囲に認められ、信長から絶大な信頼を寄せられるが、帰蝶は光秀に不穏な空気を感じ取っていた。実際光秀が信長に仕官したのは自らの軍団を得るのが狙いであり、帰蝶の愛情を再び取り戻すためであった。
 更に光秀は室町幕府をはじめとする反織田勢力と結託し、彼らと連携して信長を討つ機会を狙っていた。信長の天下統一事業が佳境に差し掛かってきた頃、丹波丹後を平定していた光秀は安土城にいる帰蝶に自分の目的を記した密書を送る。光秀の野望を知った帰蝶は光秀を制止すべく、光秀の下へ向かい、 光秀を制止せんとする。彼女は愛する信長を、昔の恋人である光秀と戦わせたくなかった。しかし光秀は彼女の制止の言葉を聞かず、帰蝶を幽閉する。
 この頃、織田軍内部では一部の者(羽柴秀吉とその家臣団、森蘭丸)を除いて、殆どの者が 光秀を信用しきっていた。機が熟したとばかりに光秀は中国・毛利軍攻めに向かうふりをして京の都・本能寺を強襲。少数の兵のみしか率いていない信長の抹殺を図る。そして自ら本能寺の最深部にて信長の前に姿を現し、彼に天下も帰蝶も全てを我が物にすることを宣言し、止めを刺さんとする。しかし光秀を怪しんだ秀吉の手の者によって救出された帰蝶によって信長抹殺を阻まれ、更に彼女に刺されて重症を負い、二人をとり逃してしまう。
 それでも光秀は諦めない。信長の勢力を削ぎ落とし、信長本人が生死不明となったため、天下を奪い、帰蝶を取り戻す機会は充分あると踏んでいた。信長の生存・再起の報を知るや否や、光秀は不敵に笑み、「一気に叩き潰す・・・ような真似はしない。ゆっくりゆっくり追い詰めてやる。」とワインを一滴一滴垂らす。なんともサディスティックな性格が感じ取れる描写である。光秀はそれまでは本性を隠し好青年を装っていたが、本能寺の変以降は本性剥き出しの鬼畜同然となる。
 だが光秀の独断専行的なやり方は幕府軍内部でも反発を受け、室町幕府将軍・足利義昭と彼の腹心であり一番の忠臣である一色藤長によって幽閉されてしまう。やがて信長が勢力を盛り返し、都を奪還すると、光秀は本能寺の焼け跡を訪れた信長・帰蝶の前に姿を現し、信長こそが乱世の生み落とした最大の業と断じる。そして信長が滅びなければ新しい時代は訪れないと断じる。だが信長はこの光秀の言葉を一笑。改めて己の手で乱世を打ち砕くことを宣言する。そしてすでに帰蝶の全身全霊の愛は信長に向けられていた。だが光秀はまだそれに気付いていない。
 都を追われた義昭は光秀に和解を求め、再度信長と対峙しようとする。その際、光秀は自分を幽閉した藤長を「君側の奸」として義昭たちの目の前で自らの手で八つ裂きにして惨殺し、幕府の総帥となることを高らかに宣言する。まさに狂気である。この場面は残酷なまでに冷徹な光秀の内面をありありと表現している。
 光秀は幕府全軍や毛利・島津・長曾我部ら西国大名、そしてイスパニア軍とまで結んで信長たちを滅ぼそうとする。イスパニア軍は日本侵略を狙っていた。光秀はそれを知っていた。彼は国を売ってまで信長を滅ぼそうとしていたのである。更に光秀はイスパニア軍の司令官にこう言う。「貴国はこの日本を狙い、私は更なる力が欲しい・・・。我々でこの日本を・・・いや・・・世界を支配しようと言っておるのだ。」と。 光秀の狂気と野望は、既に世界へと向けられていたのである。信長とは対称的である。最終決戦を前にして、信長は帰蝶や家臣たち、そして盟友の徳川家康に感謝する。対して光秀は他人を道具としか思っておらず、独善的としかいいようがない。
 博多での最終決戦にて、光秀は歪みきった狂気に満ちた野心と本性を曝け出し、呟く。皆死ね。皆滅べ。その先こそが戦なき静謐なる世だ。と。そしてついに信長と対峙する。信長との最後の死闘の末、光秀は敗れた。
 絶命直前、光秀は過去の記憶が走馬灯の如く甦った。幼い日の、帰蝶と「争いのない平和な世をつくる」ことを約束したあの日の記憶も。 光秀は天を仰いで叫んだ。「私は・・・英雄・・・足り得たのか・・・」と。そしてそれが光秀の最期の言葉だった。全ては幼き日の約束のためだった。だがそのための道を彼は違えた。その末路の果てだった。
 光秀の死の直後、一羽の白鷹が飛び去っていくのを信長たちは見た。その白い鷹が見えなくなるまで飛び去っていくまで、信長や帰蝶たちは見届けるのだった。それが乱世の終わった日だった。

名言
「野望をあきらめたらこの私に何が残るというのです?」
丹波丹後・亀山城にて。帰蝶に対して。もはや誰も彼を止めることはできない。

「織田も幕府も大名も、皆この戦であい噛み合い、滅ぶがいい・・・そしてその先にこそ、戦なき静謐なる世を創り出す!!」
博多大戦にて。光秀の真の狂気と野望が曝け出された瞬間。

「私は・・・英雄・・・足り得たのか・・・」
最期の言葉。最期まで、己の罪と過ちに気付くことはなかった。

*

■濃姫

濃姫、美濃から来た姫という意味である。(織田家家臣の中では「鷺山殿」と呼ばれていた。)


斉藤道三 帰蝶(濃姫)実父

美濃のマムシと言われた斉藤道三の娘で、織田家に嫁入り前は「帰蝶」と言った。母は「小見の方」という女性で道三が晩年愛した女性である。道三が娘を織田家に娘を嫁がせた目的は、尾張織田家の間諜(スパイ)としてである。あわよくば織田家を併呑し、尾張を手中に収めようとしていた訳である。明智光秀と濃姫(帰蝶)は「小見の方」を通じ血縁関係になり光秀と帰蝶はお互いに身内という事になる。光秀は最初尾張の織田信長に足利義昭の書状を持っていった時も信長の妻であった濃姫の縁を利用している。私はこの事にいつも運命の皮肉と残酷さを考えてしまう。濃姫がもし光秀の身内でなかったら、信長は光秀を召し抱える事もなく、本能寺で光秀から討たれる事も無かったのではないか、と考えてしまうからだ。

信長と濃姫との間が不和だったという記録は見あたらないので、多分本能寺の変の数年前の二人の関係は仲睦まじいものであったと思う。ただし濃姫は信長の子供を宿す事が出来ず信長がそれに対してどう思っていたかは不明である。山岡荘八氏の小説では作者が濃姫の気持ちを考えたのか信長が子供を作る為のみ女性と関係を持つ信長がユーモラスに描かれているが実際の所はそんなにからっとした事は無かった様に思う。また濃姫は「本能寺の変」で信長と一緒に死んだ様に書かれている。このあたり小説の描くストーリーの方が濃姫にとって幸せだったかもしれない。このあたりは男性作家の描く信長と濃姫の心理描写であると思う。私は女性作家の描く信長と濃姫像を読んでみたい。

さて「信長公記」の「本能寺の変」のくだりを見てみる。
信長初めには御弓を取合ひ、二・三つ遊ばし候へば、何れも時刻到来候て、御弓の絃切れ、其後御鑓にて御戦ひなされ、御肘に鑓疵を被られ引き退き、是れまで御そばに女共付きそひて居り申し候を、女はくるしからず、急ぎ罷り出でよと仰せられ、追ひ出させられ、既に御殿に火を懸け焼来たり候。 御姿を御見せ有間敷と思食され候歟、殿中奥深く入り給ひ、内よりも御南戸の口を引き立て無情に御腹めされ、

この「女」という記述が濃姫である可能性は高く信長より本能寺から「追ひ出させられ」た可能性が高い。「信長公記」は実際に起こった事象の記録である。信長が光秀から討ち入られ「もはやこれまで、」というせっぱ詰まった状況の中で、あえて「女はくるしからず、急ぎ罷り出でよ」と口にしたという事はこの「女」が信長にとって大事な人間である事を意味するものである。

信長が本能寺で死んでから彼女が没するまで四十一年間、彼女には残酷な歳月が流れる事になる。彼女は信長の死後「自分が光秀と良人(夫)との関係を取り持った」という事を終生悔やみ続けたのではないか。その彼女が生を終えるまで悩みながらも気丈に生き続けた濃姫に人間としての強さを感じている。彼女には信長との関係を証明する子供すらいなかったのである。彼女の強さの根拠は一体何だったのであろうか?

私はその様な理由で濃姫に人間的な魅力を感じている。そのあたり分析してみたいのであるが、残念ながら自分は女性ではないので濃姫の気持ちを推し量る事は大変難しい。異説もある。濃姫があまりに史実に出てこないという事から美濃から織田家に来た後、ある時期に死んだ(病死)とか殺されたという説である。「濃姫と信長の子がいない」という事実もこの説が真実味を帯びてくる原因である。

この時「追ひ出させられ」た女が濃姫なら、彼女は慶長十七年まで生きていながら、その後の秀吉や家康などの政治工作には一切関与せず、ひっそりと生きているという事になる。このあたりに疑問が生まれる。秀吉や家康が彼女を利用しないはずが無いからである(史実を見ると現時点では本能寺の変の後に彼女が活動した記録が見つかっていない)。
例を上げるなら家康に利用されたような感があるが、秀吉正妻の「北の政所」は秀吉の死後積極的に家康の政治工作に関与し、自身の夫の政権を完璧に叩きつぶした事で有名である。

濃姫は信長の正妻ではあるが、同時に謀反人光秀の血縁者という微妙な立場にあり、秀吉や家康が利用しづらかったという一面はある。しかし彼らであればそのあたりはどうにでもカモフラージュできるはずであり、彼女を政治の表場面に登場させ、自身の後継者争いを有利にするため必ず濃姫を利用するはずなのである。でも彼女は歴史の表場面に登場して来ない。このあたりを考えると彼女は秀吉、家康に対し完全な拒否を積極的にしていたという憶測が成り立つ。しかし別の憶測もある。本能寺の変の前夜のパーティに信長が正室と同席しなかったはずはない。あの夜は織田家の京都におけるほとんど公式の晩餐会なのである。
言うなれば次期政権担当者の京都財界へのお披露目パーティなのである。主催者である夫婦共々が出席するのが出席者達への最低限のマナーというものであろう。濃姫があの夜本能寺にいないという事であれば濃姫は信長の正室の座を失っていた事を示している。
信長は自身の政治や戦に関しては天才的なモノを持っていたが、それ以外に関しては普通のそこかしこの武将と同じだったのではないかと私は心情的に思っているので信長と濃姫との間には普通の夫婦であったものと思っている。よって、私はこの説を信じたくない。

注)信長の側室として有名なのは、奇妙、茶筅、五徳姫(後家康の嫡子信康の正妻)の生母「生駒氏吉乃」である。彼女は五徳姫を産んだ後産後の日立ちが悪く死んだ。その後は「お鍋」であった。だからこの時の側室のナンバーワンは「お鍋」である。しかし変な名前の多い事よ、、



信長の子ども達(下は生母) 濃姫は信忠のみ養子として認めた。(信忠が織田家の嫡子になるためには正妻の承認が必要)

いろんな記録を見ても信長と濃姫との間が不和だったという記録は見あたらない。(当然だが「幸せだった」という記録も無い)多分「本能寺の変」の数年前の2人の関係は仲睦まじいものであったと思う。信長はある時期まで美濃(斉藤道三)を尾張の防衛上の拠点としてどうしても確保しておかなければならない時期があったので少なくともその時期までは信長の方が濃姫を必要としているはずである。妻としてではなく、人質としてである。したがってその時期まではたとえ濃姫が信長の子供を宿す事が出来なかったとしてもそれを許す信長であったはずである。

「本能寺の変」で信長が死んだ後、彼の後継者達が作る政権が夫の目指していた政権に似ても似つかない愚鈍な政権になって行くので、彼女自身暗い気持ちになって行った事は容易に想像できる。濃姫にとっては信長の後継者達の政権担当能力は夫と比べてそれほどひどく見えたのである。

以下は想像だが、信長は本能寺で自分が死ぬ時に「濃姫は自分と光秀との関係を最初にとり持った事を永遠に責め続けるであろう。」という事を瞬時に察したと思う。だから信長は「この事は自分が導いた災いである。けっして姫の行った事とは関係ない」などと優しい言葉をかけてあげたはずだ。そうでなければ濃姫は信長の死んだ後、四十一年間も責め苦の中を生き続けることは出来ないはずである。濃姫はその様な優しい信長の最期の一言を心の支えにして生きていたことだろう。配下には厳しい信長の意外に優しい一面を見ることが出来る。

優しいと言っているそばから濃姫にとってはつらい話であるが、信長は濃姫との間に子供が出来なかったので側室を何人もこしらえて後継者作りに精を出しはじめた。これは後継者を作るというより信長の政治的基盤が安定した為、自身の血脈が将来価値を持ちはじめる事を信長自身が認識し始めたからの他ならない。彼にとっては、無数の敵への交渉の為、自分の子供すら自身の血が入った人質という道具としか見ていたわけだ。 実を言うとそれでも側室を作るのは信長にとっては遅すぎている。

彼は武田信玄の息子の勝頼に自分の血縁を人質(形上は嫁)を差し出し、相手方との戦略上の友好関係に持ち込もうとした事がある。しかし実際には相手方に差し出す織田家の娘がいない。そこで彼は自分の家臣の娘を一旦養女にし勝頼あてに自分の娘として献上している。形上は信長の娘を勝頼の嫁に献上した事になり信長はこれにより両国の軍事的な緊張を和らげようとした。もちろんこのあたりのいきさつは武田方には伏せられている。ばれたら信玄は立腹するであろうが、そのきわどい交渉を何のそつなく成立させてしまうのは、信長の外交力の底力を見せつけるものである。

尚、この話しには後がある。この娘は勝頼の子を産んだ後で産後の日立ちが悪く死んでしまう。あわてた信長は今度は逆に自分の奇妙丸(信忠)の嫁として信玄の六女松姫を貰い受ける約束をして友好関係を継続しようとした。しかしこの約束も連友の家康が上杉謙信との同盟を結ぶ事で信玄から反故にされる。信長のせっかくの信玄への懐柔政策も家康の為、無に帰した訳だ。弱い相手には徹頭徹尾強権外交をする信長が、この様に自分より強大な信玄に対してはそれこそ猫が草鞋の下を嘗めるような低頭外交をしていたのは面白い。

さて、濃姫は本能寺の変の夜に、信長と一緒にいた可能性が高いことは前述の通りである。この時期の信長は織田家の戦の司令塔であり、来るべき信長政権の広告塔である。「信長公記」には「女」という記述は二度しかなく、最初の「道三が息女尾州へ呼び取り候ひき」は明らかに濃姫の事を指している。であれば後の「女はくるしからず」も「濃姫」の事を指していると見た方が妥当性が高い。
注)この「女」を単に侍女であるという解釈をしている人も多い。

当然ながら、濃姫が早くに死しているとみなしている人から見ればこの「女」は濃姫ではない。しかし織田家の公的記録とも言える「信長公記」に信長が「侍女」に対して言った言葉などが記録されるはずはなくこの「女」は相当高い地位の女性であると思う。「濃姫」でないとすれば当時の側室ナンバー一の「お鍋」であると見た方が自然である。仮にこの「女」が侍女だったとしてもその侍女達が燃えさかる本能寺から退出しないのは彼女らの女主人が燃えさかる本能寺の中で信長といたからである。
(この部分は大部分を「信長公御台」から参考にしています。)

「本能寺の変」の時安土城にいたのが、仮に側室の長「お鍋」であったとしよう。であれば留守中の安土城にいたのは「濃姫」である。
ただ留守を預かる蒲生賢秀、氏郷親子側の記録に、「濃姫」「お鍋」相方の記述は無い。

安土城から日野城に逃げる。連れ添ったのは信長の母土田御前、徳川信康の妻だった五徳姫などである。
氏郷の妻となっていた信長二女の冬姫と力を合わせて避難した。

「お鍋」は変の後秀吉から手厚い保護を受けたとされて、秀吉主催の信長の葬式にも出席したとある。
話題から外れるが「お鍋」の子の信高と信吉は共に秀吉から手厚い保護を受けてたが、関ヶ原の合戦では、信高が徳川方に、信吉は三成側について命運をわざと分けた。このあたり兄弟でわざと別れて戦い「関ヶ原の戦い」がどちらに転ぼうが一方の血族は生き延びようとする知恵を感じる。結果としてこの試みは当たり、信高の子孫は明治維新まで所領を守り現在に至っている。一方信吉は敗戦で所領を取り上げられ浪人となった。

この様に側室は記録に残っているが、正室であった濃姫の生きた痕跡がこのあたりにまったく感じられない事に気が付く。客観的に史実を考えると「濃姫はこの時には生存していないのでは?」という疑いがどうしても出てくる。

濃姫に魅力を感じている私などは
信長の「女はくるしからず」「退出せよ」という言葉を拒否し「信長と一緒に死んでいったのではないか?」と思っているのである。
さもなくば信長の「退出せよ」という言葉を受け入れ、本能寺をその他の侍女達と逃げ延び、本能寺で最期に信長から聞いた「この事は自分が導いた災いである、けっして姫の行った事とは関係ない」という言葉を心のよりどころとし、大勢いる信長の子供達、側室達の保護を受けて表舞台には出ず、ひっそりと生きていったはずである。彼女は信長の正室の時、決して側室やその子供に対してつらく当たったりしていない。本能寺から脱出できれば、彼女をかくまう人間はそこいらに大勢いたはずである。


すこし濃姫の事から脱線するが秀勝について書いてみたい。秀勝は信長の子であるが、家臣の秀吉に子供がいない為、秀吉が信長に請うて養子としてもらい受けた。この話は秀吉サイドの天才的な信長に対する「ゴマスリ」の1つである。実はこれは秀吉の軍師である竹中半兵衛の発案と知って舌を巻いた。
あえて「秀吉サイド」と書いたのは、藤吉朗も半兵衛のこの提案の意図と意味を最初理解できなかっただろうと思ったからである。 信長の家臣達は信長からそれこそ「スリコギ棒」の様にこき使われ信長の命令を実行し成功を収めてきたわけだが、成功したら成功したで信長は家臣に相応の報償を与えなければならない。しかし信長も人の子である。信長に「一旦配下に与えた報償を惜しいと思う時が必ず来るに違いない。」という事と、「信長はその時期が到来すれば、与えた報償を配下から有無を言わさず剥奪しにかかる。」という事を半兵衛は予測していた。(事実、彼の予測は的中している。)よってその防波堤とするため秀吉に信長の子を養子として貰い受けることを提案している。
秀吉は半兵衛の提案を素直に聞き、信長に働きかけ彼は於継丸を養子として与えている。この事により信長が秀吉に対する報償のみは、結果的に秀吉の死後には自分の息子である於継丸(後の秀勝)が相続する為、莫大な報償を秀吉に与えても、結局は自分の子供に相続される為「惜しい」という感情が沸かなくなり、秀吉に対する危険性が減少する事を、この時点で半兵衛は予測していた事になる。まことにもって「うまい」としか言いようがない。
事実は半兵衛の予測通りになり、信長の家臣達は「天下布武」完成間近に次々に信長から粛正されるが、秀吉のみはそれを免れることになる。小説等では信長の剥奪が開始された頃、光秀などが「秀吉は信長の子を養子として貰い受けた為、粛正が秀吉にだけは及ばないだろう。」とため息をつくシーンが何回と無く出てくる。

さてその秀勝である。幼名は於継丸、母は法号の養観院としか判らない。彼は信長の四男で永禄十一年(一五六八年)に生まれた。先立つ天正十一年(一五七六年)秀吉の長浜時代の頃、秀吉側室(既にこの時にいた)に待望の第一子(同じく秀勝という)が出来た。しかし夭逝(若くして死ぬ事)してしまい、秀吉は悲しみにくれていた。


羽柴秀勝 長浜の妙法寺
これは信長からの養子ではなく秀吉の長浜時代の実子の方
信長から「ハゲネズミ」といわれた秀吉の子供とは思えないほどかわいい。

その様ないきさつがあり、また半兵衛の薦めもあり
於継丸は秀吉の養子として貰われていった。年号から逆算すると於継丸が十才(数え)のころである。

この事は於継丸の母である養観院にとっては落胆する出来事だっただろう。自分の息子は農民出身の秀吉の元に行くのである。しかしながら、信長が了承した事であるから異議を唱える事も出来なかった。於継丸は元服、秀吉にとっては思い出の第一子と同じ名前「秀勝」と命名される。秀吉にとっては於継丸を夭折した秀勝の「生まれ変わりである」と信じたかったのであろう。子供に死んだ祖父、祖母と同じ名前を付けるなどは、今でも欧米諸国(特にキリスト教圏)ではよく行われている事である。一方養観院は「信」という文字が名前の中に含まれていないことに憤慨したはずだ。しかし彼は秀吉の領地の長浜城で育てられ、秀吉も秀勝を可愛がり戦場にも伴い跡継ぎとして教育し、育ての母の「ねね」も可愛がった。最初失望していた養観院は育ての親の秀吉の地位がどんどん上がり、本能寺の変の後に秀吉が挙行した信長の葬儀では、息子の秀勝が喪主を務めた事で、養観院は悲しみの中にも多少喜びを感じたことは想像に難くない。

重複するが信長の葬式は秀吉が行い、喪主は信長四男で養子の秀勝が行った。

信長は自分の後継を信忠(奇妙丸)と決めており、次男の信雄(茶筅丸)を北畠家に、三男の信孝(三七丸)を神戸家に養子に出した。よってこの時点で次男三男の継承は論外となる。信長の嫡子信忠は本能寺の変で、信長の自刃した同じ日に後を追うように二条御所で自刃した。継承順位(信長、信忠、三法師(後、秀信、信忠の嫡子))を考えると信忠が死んだ時点で信忠の嫡子である三法師が引き継いだ事になる。幼児である。彼は変の時、父信忠と同じく二条御所にいたが、織田家の正式な後継者という事で。家臣達は必死で救い出した。後の清須会議でも、織田家の正式な後継を「三法師」とする事を秀吉は他の織田家の家臣達に認めさせている。前述の通り筋は一番通っている為に表だってだれも反対を言い出せない。
秀吉にとって織田家を傀儡政権化にするには、信雄はとうが立ちすぎており、幼少の三法師の方が扱いやすかったという理由がある。信長死後の織田家は秀吉にとって一番扱いずらい武家に成り下がったという一面もある。これは秀吉の弁護ではない。

濃姫は生きていれば当然ながら葬儀に参加したはずである。しかしながら実際には参加したという記録が無い。これは秀吉の参加要請を濃姫が拒否したためではないか思う。秀吉も本当は自分の本当の姿を一番知っている濃姫を相手にしたくなかったと思うが必死で葬儀参加を要請したはずだ。しかし濃姫は秀吉を無視したのである。この事は濃姫が秀吉に対してどの様な印象を持っていたかを推測することが出来る。濃姫が秀吉主催の信長葬儀に参加していれば織田家の後見としての秀吉の地位は約束された事になる。秀吉はなにがなんでも葬儀に参加して欲しかったはずだ。という事から彼女は積極的に参加を拒否したという見方がでてくる。

記録をみると濃姫だけではなくこの時の秀吉主催の葬儀には不参加の人間が多い。当然ながら織田家の重臣である柴田勝家、滝川一益、次男信雄、三男信孝は秀吉の要請にもかかわらずついに現れなかった。この事は後継者争いの真っ最中に秀吉が葬儀を強行した証拠である。信長の葬儀に参加したのは信長の生母土田御前、お鍋等である。彼女達はこの参加によりこの葬儀が織田家の正式の葬儀である事をと追認した形にになり葬儀委員長である秀吉は面目が立った。そして三法師の後見人としての地位を明白に出来た。多分秀吉はお鍋に相当の見返りを送っただろう。

秀吉のこのあたりのサマをみると人の死や悲しみの場をも、うまく利用しようとする秀吉の「すさまじさ、えげつなさ」を感じる。これは決して信長の死に悲観した人間の取る行動とは思えない。濃姫は良人(夫)の死の悲しみの中で、その様な秀吉の様子に嫌悪感を持った事は想像に難くない。彼女は頭が良かったし人間観察力も優れていたので、秀吉の本質を見破っていたはずだ。多分信長存命中より秀吉の本当の姿を知っていたに違いない。

「国盗り物語」
<第一部 道三・天下への野望>
 
応仁の乱以後、京の都は荒廃していた。足利幕府の権威は墜ち、諸国には強豪がひしめき合い、戦国時代に入っていた。そこに、身分もなければ金もない乞食のような修業僧が「国盗り」を決意し、還俗した。ただあるのは才知と己への絶対的な信仰である。妙覚寺本山で「智恵第一の法蓮房」といわれた若者、名は松波庄九郎、のちの斎藤道三である。その庄九郎に天が味方をした。京の油問屋「奈良屋」の荷頭が青烏帽子に殺されたのである。庄九郎は持ち前の才覚で青烏帽子を倒し、奈良屋の主、後家のお万阿に面会する。お万阿は庄九郎に魅かれ、彼を入婿に迎える。奈良屋庄九郎となった庄九郎は、商売を繁盛させた。しかし、それを妬む山崎八幡宮の神人たちが、奈良屋を取り潰そうと襲撃してきた。庄九郎は機転を利かせて、この危機を乗り切る。奈良屋を廃し、「山崎屋」に変えて主になり、店を守ったのだ。その後、庄九郎は「天下獲り」を目指し、美濃の国を<国盗り>の拠点と定めた。
美濃は地理的要地にあり、尚且つ、政治的混迷が続いていた。
美濃国主は土岐政頼である。弟の頼芸(よりよし)との間に跡目騒動があり、今も燻っている。土岐家の名家、西村家を継ぎ、西村勘九郎となった庄九郎は、頼芸の腹心として寵愛され、次第に頭角を表していく。

ある日、暇に飽いた頼芸は庄九郎と賭けをする。襖絵に描かれる虎の瞳を槍で突けたら「望むものをとらす」。庄九郎は突き、頼芸の側室の深芳野(みよしの)を得た。そして、それにかわるものとして「殿に美濃一国を差しあげます」と言い放った。
その約束は果たされた。お万阿からの資金で、美濃の豪族達を説得し、名家、明智一族の協力を得た庄九郎は、「政頼は美濃を治める力がない」と川手城を攻め、政頼を追放した。頼芸は正式に美濃の国主となり、庄九郎は土岐家の名家、長井家を継ぎ、長井新九郎利政と改め、加納城の主となった。その頃、深芳野に吉祥丸が生まれた。しかし、吉祥丸は庄九郎の子供ではないのではという噂が流れた。頼芸の元から、庄九郎の側室になって早すぎる出産だったからである。

「私にはそれしか生きる手立てがありませぬ」と、一人悩む深芳野。政頼の最大の後見人だった長井藤左エ門は、いつかは庄九郎が美濃を支配するのではないかと、疑心暗鬼になっていた。頼芸の3人の弟と豪族、地侍を集め、庄九郎を討ち、頼芸から守護職を奪う計画を密かに練っていた。夜、藤左エ門の手の忍びが庄九郎の寝所を襲う。間一髪、赤兵衛と耳次が食い止め、危機を逃れる。庄九郎は、即座に兵を挙げ、<上意討ち>として藤左エ門の館を襲い、討ち取る。しかし、この知らせを聞いた頼芸の弟たちは、「油商人を殺せ!」と頼芸に詰めよった。美濃は蜂の巣を突いた騒ぎになった。弟たちに土岐一門の地侍たちが集結し、その数は増え続け、2万を越える程になった。「少しやり過ぎたかな」。庄九郎は、心配する深芳野と明智家から人質として来ている那那姫を呼び、「殺されるのはわし一人。だが、まだ殺されるのはごめんだ・・・」と、頭を剃り、元の法師に戻った。
出家して道三と名乗り、全てを捨てて、雲隠れしてしまったのである。

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<第二部 蝮の道三・虎の信長>
 
道三が美濃を去って、数ヵ月後。尾張の織田信秀が木曽川を渡り、美濃に攻め込んで来た。優秀な指揮官を欠いた美濃勢は大敗し、多くの領民たちが犠牲となった。美濃が道三を必要としていた。その急報を受け、道三は美濃に戻った。美濃勢の士気が一気に高まり、みるみるうちに形勢は逆転し、織田軍は四散した。この戦の大勝利で「美濃に道三あり」という有名が高まった。
既得権益を持つ旧勢力や、ライバルである近隣諸国から見れば、「蝮」に見える道三も、領内の農民や家来にとっては絶対的な人気があった。
楽市・楽座、新しい戦法、新しい築城術、どれも当時の常識からは強引なようだが、理に叶っている。だから国は豊かになるし、当然人気も出る。

十数年が過ぎた。那那姫は成長し、小見の方と呼ばれ、道三は正室に迎えた。その娘が帰蝶(濃姫)である。道三の楽しみは、帰蝶、吉祥丸、明智頼高から預かり、我が子同様に育てていた桃丸(後の明智光秀)の成長を見守ることだった。

その頃、那古野城の織田信秀の下に、頼芸の嫡子・小次郎の姿があった。「あの蝮は、国泥棒。今のうちに葬っておかねば、大事に至りますぞ」。小次郎は、信秀と通じ、道三を倒し、頼芸から国主の座を奪う計画を練っていた。小次郎が兵を挙げ、織田の援軍は美濃国境に迫っていた。道三は、頼芸に小次郎を廃嫡するよう進言した。廃嫡された小次郎は、謀反人とされ、加担する美濃侍たちはほとんどいなかった。道三の旗印「二頭波頭」が風にはためく。織田軍を襲う道三軍の勢いに、信秀は退却を余儀なくされた。またしても逃げ帰ってきた信秀を、吉法師(後の信長)が迎える。「お父、蝮との戦に負けたのか」。子が親を討つ乱世を、小見の方と深芳野は憂い心配する。「そのうち、御父上が天下をとって、乱世はおさまります」と帰蝶は強く言うのだった。

月日が流れたが、頼芸は、あいかわらず、酒と女と歌舞音曲、鷹の絵を描く毎日を送っていた。道三は、意を決して頼芸を訪ねる。「お屋形様はご隠居なされます様・・・」。わめく頼芸に、「このままでは美濃は亡びる」と説得する。「わしを隠居させて誰を守護職に?」「お子でござる。我が屋敷にお預かりしている」。深芳野が産んだ吉祥丸は、元服して義竜と名乗っていた。「わしを隠居させるのなら、兵馬に問え!」夜、頼芸の館を道三の兵が包囲する。慌てた頼芸は絵筆、絵具を持ち、逃げ落ちていく。木曽川まで逃げ延びた頼芸は、一艘の船に乗り込んだ。「あの男が油売りとして流れて来た時、みなの用心せよという忠告を聞いておけばよかった」と涙声に語る頼芸。舟を漕ぐ漁師が口を開いた。「それは間違いです。お屋形様は、それがしのおかげで美濃の守護職になれ、この乱世に十数年もその地位を保たれた」。実は、道三が漁師に変装し、最後の別れを告げに待っていたのだ。

美濃は完全に斎藤道三の支配するところとなった。だが、越前には朝倉が、尾張には織田が勢力を伸ばし、しきりに美濃を刺激していた。合戦に継ぐ合戦が繰り広げられた。そこへ、信秀の使者として平手政秀が、道三の下へ現れた。元服した信長と、帰蝶の縁談の相談である。織田との戦がなくなれば、美濃も平穏になる。道三は、溺愛する娘を手放してまでこの政略に心が動いた。暫く後、道三は京のお万阿を訪ねた。美濃を盗るまで20数年かかった・・・。将軍になって戻ってくる約束を果たせそうにないと、お万阿に詫びる道三。「では、京に戻られますか」と喜ぶお万阿。しかし、もはや道三は、美濃には無くてはならない存在。夜、道三は置手紙を後に京を去るのだった。「許せ、道三」。
美濃に戻った道三は、持是院を訪ねた。ここには、世を憂い、尼となった深芳野がいた。「不自由はないか」と聞く道三に、「別にございませぬ」と答える深芳野。道三が帰った後、深芳野は一人忍び泣く。

道三は、信長と帰蝶の縁談を決めた。それを聞いた明智光秀は驚く。同様に帰蝶も驚く。「私に、縁談。光秀どののところに参るのでございますか」。その問いに戸惑う道三。「そなたは正妻の一人娘。目下のものへやるわけにはいかぬ。尾張の信長という若者だ」。
天文18年(1549)、帰蝶の輿が尾張へ向けて出発する。道三は帰蝶に「信長はうつけ者だ。嫌になったら、その時はこれで刺せ」と短刀を手渡す。しかし、帰蝶は「この短刀は、お父上を刺すお刀になるやも知れませぬ」と答える。

婚儀の席には、信長の姿はなかった。あいかわらず、信長はうつけ姿で外を飛び回っていた。お守役の平手政秀の説得でようやく帰蝶の下へ現れる。「お濃、俺は馬鹿かどうか自分でも判らん。俺が馬鹿か、世間が馬鹿か・・・俺が天下をひっくり返してみないと判らんだろう。そなただけは、俺を馬鹿だと思ってもらっては困る。」「わかりました。お濃はいつまでも信長様の味方でございます」と帰蝶は笑って答える。

2年後、信秀が急死した。その葬儀の読経中、うつけ姿で現れた信長は、いきなり香炉の抹香をわしづかみにし、投げつけた。信秀の妻、土田御前は次男の勘十郎を跡取りにしようと画策する。人びとも、勘十郎が総領になれば織田家も安泰と囁きあった。そんな折、平手政秀が切腹した。「じいッ!俺は本物のうつけだった」。平手の諫死に目が覚める信長。平手の自害を聞いた道三は、信長へ面会の使いを出す。その申し出を受ける信長。近習たちは「娘婿といえ、相手は蝮ですぞ。何を考えているか判りませぬ」と断るよう進言した。信長の命を狙う者は、城内でも少なくなかったからである。道三と信長の会見場所は、美濃と尾張の国境に近い聖徳寺で行われた。会見前に道三は、信長を見てみたいと街道脇の百姓屋に隠れた。その前を通りかかる信長の行列。馬上の信長は、茶筅髷。萌黄の紐で髷を巻き、浴衣、片袖外し。大小は腰に縄でグルグル巻き、瓢箪をぶら下げたうつけ姿。それを見た道三は「何という馬鹿だ」。しかし、その後を三間槍500本、鉄砲500本を携えた兵を見て表情を変える。

袖なし羽織に小袖の着流しで待つ道三の下へ、信長が現れる。髪を結い、長袖に長袴。信長の正装姿に面食らう道三。「あちらが山城入道でござりまする」という赤兵衛の言葉に、「デアルカ」とうなずく信長。会見は終始無言で終わった。その夜、道三は信長に手紙を書いた。「あなたを見て自分の若い頃を思った。援軍が必要な際は申し込まれよ」と。

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<第三部 信長・桶狭間の戦いから天下布武の道>
 
義竜は守護職だが、美濃の実権は道三が握っていた。疑心暗鬼になっていた義竜は、出生の秘密を聞かされる。父親は道三ではなく、土岐頼芸であると。義竜は深芳野に詰問するが、深芳野は涙を流し答えない。義竜の心は決まった。

「父・頼芸の仇を討つ」。桔梗ののぼりが道三の居城・鷺山城を囲む。土岐家の正式な後継者である義竜の下に、美濃侍たちが集結した。その数、道三軍の10倍。道三は、自分の終末を予感した。義竜の反乱を聞いた信長は、援軍を出すと伝える。しかし、道三はそれを拒む。「戦は利害でやるものぞ」。そして、美濃を信長に譲るという書状を書く。「蝮を連れて戻る」と帰蝶に言い、飛び出す信長。しかし、織田軍は美濃軍に阻まれ、道三は長良川河畔で討死した。道三の<国盗り>の夢は志半ばで終った。しかしその夢は、2人の若者に受け継がれていく・・・。
娘婿の織田信長と、我が子同然に育ててきた明智光秀である。
光秀は道三の最期を伝えに京のお万阿を訪ねる。
それを聞いたお万阿は「私の夫は山崎屋庄九郎です」と涙を流す。

放浪の身となった光秀は、衰退した足利幕府を再興し、乱世を鎮めるという希望に燃える。そんな光秀を支える妻のお槙。京を追われた将軍・義輝を訪ね、その側近の細川藤孝と出会う。光秀は藤孝と結束し諸国の協力を得るため奔走する。その頃、一人の男が家来を志願して信長の前に平伏した。「おもしろい・・・。猿のようじゃな」「はい・・・猿でございます」。木下藤吉郎、後の豊臣秀吉である。

永禄3年(1560)、今川義元が上洛を目指し動いた。その数2万5千。信長軍の10倍である。重臣たちの反対を押し切り、城を出ると宣言する信長。熱田大明神に自軍を集結させ、今川の本陣目指して突撃する。雨が降りしきる中、奇襲は成功。桶狭間で大勝利を収める。この戦の勝利で、信長の名は天下に広まった。「まさか、あの信長が」。それを聞いた光秀は、自分が描いた夢の実現のため、急ぎ、越前の朝倉氏を訪ねた。越前の覇者、朝倉家は、代々守護職を務める名家。朝倉義景に将軍家再興を説くが、優柔不断な義景は動かない。

翌、永禄4年、信長は堺を訪ね、その足で将軍・足利義輝に謁見した。光秀はその報せを病床で聞く。「信長は俺よりも、ずっと先を歩いている。やっぱり道三殿が云われた様に、意外な人物なのかもしれない・・・」。
お槙は自らの髪を売って手に入れた高額な薬を、光秀に飲ませる。
「お槙、すまぬ・・・。必ずや他日、天下をとってやる・・・」。

その頃、美濃の義竜が急逝した。信長は、義父・道三の仇を討つべく、賢臣・木下藤吉郎の智略を得て美濃を攻略し続ける。しかし、美濃兵たちは手強かった。信長の美濃攻略中、光秀は将軍・義輝と朝倉義景の間を取り持つべく奔走していた。そして義輝にその働きを認めてもらえた矢先、松永弾正が義輝を暗殺したのだった。悲しむ光秀と細川藤孝は、義輝の弟で奈良の一乗院にいる覚慶を救い出し、将軍職に就かせようと画策する。三好、松永の兵が包囲する中、光秀は覚慶を背負い、無事救出。

その頃、信長は、ついに稲葉山城を攻め落とした。
道三が亡くなって11年目の夏だった。
「父の志を継いで頂き、うれしゅうございます」と涙する濃姫だった。

いっこうに上洛する気配を見せない朝倉義景に見切りをつけた光秀は、一大決心をする。
信長に仕えようと。美濃へ行き、信長と面会する。信長は「金柑頭」と言いながら、「使えそうな奴だ」と一瞬で光秀の才覚を見抜く。
永禄11年(1568)、信長は足利義昭を奉戴し、京へ上洛した。
遂に信長は栄光の掛け橋を一段上ったのである。

しかし、将軍に就いた義昭は、信長に対し不信感を抱くようになる。光秀を呼び、「鷹を追え」と云う。今や信長の家臣となった光秀の立場は辛く、「石になる他はございませぬ・・・」。
義昭は活発に動き、越後上杉、越前朝倉、甲斐武田、安芸毛利、播磨の本願寺、近江の叡山などと同盟を結び、密かに信長包囲網を作り上げていった・・・。

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<第四部 信長と光秀・・・宿命の本能寺>
 
信長は京へ上り、そのまま北進し、朝倉領に攻め込んだ。義昭を責めず、義昭が頼りにした朝倉家を討ちとろうと考えたのだ。光秀も参戦し、旧主家に刃を向けた。しかし、突如信長の背後を浅井長政が襲った。浅井には信長の妹・お市の方を嫁がせ、同盟を結んでいたが、長政が裏切ったのだ。その報せを聞き、信長は急遽、全軍撤退を命じた。しんがりを努めていた藤吉郎を、光秀は三河の徳川家康と助け、京に舞い戻る。その後、信長、家康軍は、姉川の合戦で、浅井、朝倉の連合軍を破る。義昭は信長に「姉川の大勝利、祝着だった」と褒めるが、裏では次なる手を画策していた。

続いて、近江の叡山が信長に抵抗したのだった。延暦寺を焼き討ちにする命を聞いた光秀は、焼き討ち反対を信長に説く。しかし、信長は「この金柑頭!汝に分からせるには、これしかないわッ」と光秀の頭を掴んで、田に転がす。「新しい世の中を作るには、壊さなければならんものは壊す」。
信長は光秀の理屈っぽいところを嫌っていたが、その才能は買っていた。すぐに光秀に近江・坂本に城を築かせ、10万石の城主にさせたのだった。
元亀3年(1572)、甲斐の武田信玄が上洛軍を進めた。「風林火山」の旗は、三方ヶ原で徳川家康を破り、信長の喉元まで迫った。将軍義昭は大いに喜んだが、信玄の動きが止まった。病死したのだった。

その頃、光秀と藤孝は悩んでいた。義昭が信長に謀反を企てている事に対し、諌めきれないと判断したのだった。若かりし頃、奈良・一乗院から背負って救い出し、幕府再興に賭けた夢が終わる・・・。光秀は、信長に手紙を認めた。将軍、義昭が公然と謀反を起こすと。信長は諌状を義昭に送ったが、義昭は南近江の石山城にこもり、対抗した。信長は光秀に先陣を任せ、義昭追討を命じた。ここに15代続いた室町幕府は終わったのである。
信長は、続いて、越前に攻め入り、朝倉義景を自害させ、近江の小谷城を包囲し、浅井長政をも自害させ、滅亡させた。
もはや信長の勢いは誰も止めることは出来なかった。
その頃、光秀の娘、お玉と細川藤孝の嫡男・忠興の祝言が行なわれていた。

天正3年(1575)織田・徳川連合軍は、長篠で武田勝頼を破り、大勝利を収めた。光秀は、三段入れ代わり一斉射撃の作戦を聞き、信長の異才に慄いた。その頃、信長の高官で摂津一国を宰領していた荒木村重が謀反を起こした。信長は光秀を使いに出す。光秀の娘は、村重の嫡男・新五郎に嫁いでいたのだ。光秀の説得により、村重は思い止まった。しかし、村重は再び信長に反旗を翻した。怒った信長は、伊丹城を包囲し、滅ぼした。村重は毛利を頼り、落ちていった。

信長は、安土に城を築き、その威信を広く轟かせた。信長は、現状に満足し、働かない家臣を次々と追いやった。林通勝、佐久間信盛・正勝親子・・・、織田家の重臣達がリストラされていく様を見て、光秀は次第に疑心暗鬼になっていった。甲府征伐に参陣した光秀は、信長の下に、反武田の信濃勢が集まってくるのを見て、「これまで骨を折った甲斐があった」と呟いた。それを聞いた信長は、烈火の如く怒り狂い、欄干に光秀の頭を打ちつけた。森蘭丸が間に入り止める。「上様!ここはご堪忍を」。
武田勝頼を倒した信長は、中国を攻めていた羽柴秀吉から出馬の要請を受け、毛利攻めに向かう。その時、信長は光秀に近江と丹波の2国を取り上げ、出雲、石見の2国を与えるという命を伝える。

信長にとって、光秀への励ましの意味を込めた命令だったが、光秀には信長の心は届かなかった。「出雲、石見は敵の毛利の両国・・・。わしは無禄になった。わしの兵を養って行くことは出来ぬ・・・」。丹波に戻った光秀は、一人愛宕山に登った。「京は空白・・・。時は今・・・」丹波の亀山城で光秀は、家臣の明智光春、斎藤利三を呼び、その決意を伝える。

天正10年(1582)、亀山城を出た光秀軍は、京へ向かった。本能寺で信長は、嫡男・信忠と濃姫、森蘭丸と酒宴を開いていた。「よいか!皆の者よう聞け!敵は本能寺にあり!」明智軍は、京の町を駆け抜け本能寺を包囲した。

「明智光秀、謀反にござりまする・・・」。蘭丸の報せを聞いた信長は、濃姫を逃がそうとする。「濃は蝮の子にござりまする」。「ならば、生死は一如!」と共に闘う。『人間、五十年下天のうちにくらぶれば・・・』炎に包まれた中、舞を舞う信長。享年四十九歳で波乱の生涯を閉じた。
丹後、宮津城にいた細川藤孝は、光秀謀反の報せを聞き、息子・忠興と信長追善のため、髪を切り、幽斎、三斎と名を改め出家してしまった。忠興の頭を見て、お玉は自ら離縁を伝え、細川家から出て行く。光秀は、手紙を送り、藤孝に味方に着くよう促すが、藤孝は涙を流して断る。信長の死を知った秀吉は、備中高松から京へ舞い戻り、光秀と山崎で相対した。

圧倒的な兵力を誇る秀吉軍の前に、光秀は敗走を余儀なくされた。
京の郊外・小来栖。竹やぶの中を馬で進む光秀を、竹槍が襲う。落馬した光秀の目に、満天に輝く北斗七星が・・・。
「星か、こんな美しいものが、あったんだ」
道三が、信長が、天下統一という夢をみた。そして光秀が、その見果てぬ夢に別れを告げた時・・・戦国という時代も、終わりを告げようとしていた。

Date: 2007-01-15 04:50 pm (UTC)
From: [identity profile] snowlight.livejournal.com
「敵は本能寺にあり」見応えのある45分間でした。今回は台詞と共に追っていきます。

謀反を起こしたのが、光秀だと聞いた、信長の不敵な笑みが何とも言えません。お濃に向かって放った一言。「あの世とやらで、またまみえようぞ。」…良いです。

森蘭丸=渡辺大さんは、渡辺謙さんの息子さんですよね。物凄く謙さんに似てます。

本能寺へ光秀軍が攻め入ります。竹は鉄砲の玉を跳ね返すんですね。光秀軍は竹の盾を使用していました。

本能寺にお濃がいると知った光秀。先ほどの勇ましい声から、脱力した声で「お濃さまが居られるのか…」と。もう後には退けない。

信長と共に歩むことを決めたお濃。女性の強さを感じます。「殿は地獄。私は極楽。これでは死に別れでございます。」かっこいいなぁ~こんな台詞言ってみたいです。お濃の殺陣も良かったです。お濃が敵の肩越しに光秀を見つめるシーン。完全にお濃の勝ちでした。過去を払拭しましたね。逆に光秀は…未練タラタラに見えます。もうこの時点で光秀の運命は決まってしまった…そんなことを予感させます。

Date: 2007-01-15 05:02 pm (UTC)
From: [identity profile] snowlight.livejournal.com
戦国BASARA2
濃姫篇『走れ、復讐の道を』
最終章 旅の終わり


濃姫「そこで、待っていろ・・・」
濃姫様は、やっぱり綺麗だなぁ(着目するところは、ここではなく)
船から下りてきてるの、濃姫様と蘭丸君だけ・・・しかし、蘭丸の参戦はなく。
そういえばここ、こっちが山頂取らない限り、味方武将出現しなかったっけ・・・。
それでも、蘭丸君出てこなさそうだけど。

濃姫「ついにこの時が・・・光秀・・・!」
織田軍武将「天王山に明智光秀はいない様子・・・
       今のうち、山頂に陣を布きましょうぞ」
ミッション「天王山頂上陣地を確保せよ」
鍛えたいので、特別恩賞は取りませぬ。

濃姫「お前だけは許さない・・・」
蘭丸「光秀ーッ! てめー! ゆるさねー!」
初っ端から素晴らしいテンションです、お二人とも!!

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一合目 突破
光秀「ククク・・・
   さて・・・山頂を頂きますか・・・
   クッククク・・・アッハハハ・・・」
明智光秀 進軍開始

光秀「帰蝶・・・やはり貴方が来ましたか」
濃姫「なぜだ、なぜ上総介様を裏切った!」
光秀「さあ・・・貴方には言いたくありませんククク」
光秀が濃姫様のことを”帰蝶”と呼ぶのが、大好きだw
”貴方には”って、やっぱりその辺ロマンスが・・・!?
個人的に、恋の矢印は「光秀→濃姫→信長」というのが好みなんですが・・・!

蘭丸「逃げろよ、光秀・・・泣いて逃げてみろ」
このセリフ、蘭丸ストーリーでも聞いたような・・・?
ようやく本調子になってきたね♪

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二合目 突破
蘭丸「光秀ーッ! てめー! ゆるさねー!」
光秀「相手を見てものを言いなさい、蘭丸
   ・・・・・・醜く殺されたくなければね」
蘭丸は光秀のこと相当嫌いだと思うし、それは周知の事実だと思うのですが、光秀も蘭丸のこと好きじゃないですよね・・・絶対。
あと思うのは、蘭丸は間違いなく、光秀のことナメてますよね、激烈に。

光秀「少し見ない間に、随分と戦慣れしたようですね」
濃姫「誰のせいだと思っているの?
   いいえ、今はそれに感謝するわ!」
これが、濃姫様が戦慣れした理由・・・?
そんな・・・濃姫様の戦ぶりはむしろ、天性の才能だと思っていたのに・・・!(ぇ)
・・・あ、でも、天性かどうかは別にして、才能はありそうですね。
お父さんが、マムシだし・・・。

濃姫「最初から裏切るつもりだったの!?
   私達を騙していたの!?」
光秀「・・・・・・・・・・・・」
み、光秀が無言!?
あの光秀が無言!?
これはやっぱり、ロマンスが潜んで・・・!?

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三合目 突破
光秀「その先は地獄ですよ
   私という死神が待つ地獄です」
濃姫「地獄ならとうに味わった!
   これ以上の地獄など、ありないのよ!」
これは光秀なりに、「来ちゃだめだよ、殺したくないから来ないで」ということを言っているのですよね・・・?

濃姫「言いなさい、本当に上総介様を殺したの?」
光秀「・・・・・・魔王も案外、もろいものですね」
濃姫「き、貴様ーーー!!」
ぼかすの好きですね、光秀。
・・・いや、光秀は一応ちゃんと殺したつもりなんだっけ?(光秀ストーリーとかでは)

濃姫「上総介様・・・濃は、あなた様を・・・」
もしみっちゃんがマジで帰蝶様のことを想ってらっしゃったら、キッツいセリフだと思うなぁ・・・。

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六合目 突破
光秀「殺されてもいいのですか?
   無残な死だ・・・貴方に残るものは何もない」
濃姫「フフ・・・その通りよ・・・だが、かまわない」
織田軍武将「もう心は決めた・・・我ら、地獄までお供するのだ」
濃姫の進軍を止めようとする、光秀。
どうしよう・・・最初は濃姫ストーリーは”上総介様を一途に想う乙女のお話”だと思っていたのに・・・このままでは”濃姫様を影ながら想う変態の話”へと、脳内が摩り替わりそうだよ・・・。

濃姫「蘭丸君・・・私が死んだら逃げるのよ・・・
   ・・・さあ、これが最後だ!」
・・・もう、蘭丸が濃姫様の子供ってことでいいんじゃないかなぁ?
濃姫さまにお子はいらせられませなんだというのが、有力説ですが・・・もう、蘭丸君ってことでいいじゃん(よくねぇ)
あるいは、弟で☆

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天王山頂上 侵攻
冷眼下瞰 明智光秀
光秀「クッククク・・・ああ、待っていましたよ
   貴方に真っ赤な死に化粧を施す、この瞬間を!」

光秀「ククク・・・ハハハ・・・」
濃姫「お前を殺しに来た!」
光秀「フフ・・・私をね
   フフフ・・・ハハハ・・・ククク・・・
   フフフ・・・ククク・・・クッククク・・・」
とりあえず、光秀笑いすぎ。

濃姫「燃え上がれ、空よ! これは最後の宴!
   すべてはお前を弔うために!」
光秀「ハハハハハ! 来なさい、帰蝶!
   飛んで火にいる、艶やかな虫!」
宴!?Σ(・▽・)
いや、あの、その・・・表現が・・・表現が光秀と一緒。
やっぱり、血縁だ・・・隠し切れない血の繋がりが・・・!(あわわ)

光秀「さあ、見せて下さい、帰蝶!
   ここに辿り着くため、死に染まった魂を!」
・・・光秀は、血と闇に濡れた濃姫様を見るために、この合戦をお膳立てしたの?
とか、思ってしまいそうになりますが。

光秀「震えているのですか?
   私が怖いのですか? 死ぬのが怖いのですか?」
濃姫「私はマムシ・・・ただ飛び回るだけの蝶じゃない
   地を這って、お前を死に追い詰めてやるわ!」
そういえば濃姫様は蝶に例えられることはあっても、マムシに例えられたことはありませんね。
自称でしか・・・。

光秀「安心してください・・・他でもない貴方です
   丁寧に送ってあげましょう」
おぉお、”他でもない”とか言い出したよ!
どんだけ濃姫様が特別なんだよ!
・・・まぁ、濃姫様本人は嫌がりそうだが。

光秀「ククク・・・私は何故、迷っているのでしょう」
光秀が濃姫様に何がしかの感情を持っているのは、間違いないですよねぇ?
蘭丸君相手でも信長公相手でも迷ったりしなかったのに(いや、前から切るか後ろから斬るかの迷いはあったけど、それはそれとして!)、濃姫様相手だと葛藤しちゃうんですねw

光秀「さあ、貫いてください! それが貴方の仕事!」
これは、生き方を貫けとか、信念を貫けとか、そういう意味?
それとも、そのまんま物理的な意味で貫けと・・・?
後者だったら、光秀どんだけマゾやねんという話(どんな話だ)

光秀はスピードも攻撃速度も、そうでもないし。
濃姫様は体力低いし防御も紙だけど、とにかく素早いし通常攻撃も技も優秀だし・・・。
まぁ、心配はないかな。
だからというわけでもないけど、【胡蝶の目覚め】オンリーで滅多蹴り。
濃姫様も銃でとか間接的じゃなくて、直接的にぶち殺したかろう・・・などと思ったり、思わなかったり。

光秀「信長・・・公は・・・」
・・・生きています、ですか?

Date: 2007-01-15 05:19 pm (UTC)
From: [identity profile] snowlight.livejournal.com
特集:悲闘 本能寺
第3弾 エピローグ“本能寺”

光秀のかぶと
揚羽蝶の前立てに込めた思い~道具秘話~


信長と濃、そして光秀、3人の思いが交差した本能寺。
その象徴となったのが、蝶の前立てをあしらった光秀のかぶとです。
そこに込められた思いを探ります。

光秀の思いを込めた蝶
 濃と再会して以来、美濃で過ごしたころを思い出すことの多かった光秀。当時は“帰蝶”という名前だった濃への思いを託すかのように、本能寺に討ち入る時は、かぶとの前立てに揚羽蝶をあしらった。しかし、まさか濃が本能寺にいたとは……。そのうえ信長が好んだ“赤色”の打ち掛けを着ていた!
 この濃の打ち掛けを赤色にして、揚羽蝶の文様を描くというのは演出の尾崎充信ディレクターのリクエストだった。一方の光秀のかぶとに揚羽蝶の前立てをあしらうというのは、濃の打ち掛けからヒントを得た小道具スタッフのアイデアだった。
 元々、かぶとの前立てというのは、武将のイメージを表すなど一種の飾り物。そこで、光秀の “濃=帰蝶”への思いを表現するものとして揚羽蝶を付けることにした。
 かつて濃が『わたくしが子どものころに使っていた椀でございます』と信長に見せていた器(第5回 2月5日放送)。そこに描かれていた蝶のデザインを前立てにも採用した。言ってみれば“帰蝶ブランド”。複雑な光秀の思いをかなえてあげたいという小道具スタッフの粋なはからいだった。

光秀の最期を見守る濃の化身(!?)
 秀吉の軍勢に敗れ、山崎を敗走する光秀。追跡の兵も間近に迫る中、光秀が目にしたのはひらひらと舞う蝶の姿だった。
 このCG(コンピューターグラフィック)で描いた蝶も、光秀のためにと考えたスタッフの優しい心づかい。
 濃は本能寺で信長の妻として最期を遂げた。しかし、死を目前にした光秀のために再び帰蝶として現れ、優しくあの世へ誘おうとしたのかも知れない。帰蝶の化身のような蝶の登場で、光秀も心安らかにその生涯を閉じられたのではないだろうか。

Date: 2007-01-16 04:13 am (UTC)
From: [identity profile] onihime-sama.livejournal.com
Hey I love that game, though I suck.
And look at that hot Sasuke!*drool*

Date: 2007-01-17 03:43 am (UTC)
From: [identity profile] snowlight.livejournal.com
It's crazy, but I have actually begun to considering playing these games for once....orz

啊啊啊!!

Date: 2007-01-16 12:13 pm (UTC)
From: [identity profile] saltree.livejournal.com
佐助大人你终于长大了呀呀!!连蛇叔叔那种那么没品的衣服你都穿的这样有视觉冲击~~~~~~~~~~

Re: 啊啊啊!!

Date: 2007-01-17 03:41 am (UTC)
From: [identity profile] snowlight.livejournal.com
……你要相信,本命的力量是无穷的……

(嗯,其实我本来想说某些比较恶毒的言论的,不过考虑到某些看这日记的人,还是算了……)

Re: 啊啊啊!!

Date: 2007-01-17 10:28 am (UTC)
From: [identity profile] saltree.livejournal.com
话说你有看过FF13的宣传片了么,正传那是长得极像Cloud同学的女主角拿着两位S先生的Gunblade,外传那是有着佐助同学的衣服,佐助同学的发型,佐助同学的眼睛的男主角啊....而且是个MS很强的反派主角...
怀疑自己看到了火影和FF的crossover....

Re: 啊啊啊!!

Date: 2007-01-18 02:00 am (UTC)
From: [identity profile] snowlight.livejournal.com
火影和FF的crossover....

汗,你说起这个,我倒想起来戦国BASARA(英文译名为Devil Kings,原因不明)里面的明智光秀先生造型怎么看怎么像你家Sephiroth大人啊!银白色长发,阴冷,毒辣,反派BOSS....

当然戦国BASARA里面很多都很汗……比如兰丸的造型,比如兰丸的ending……比如英文配音。-_-

Re: 啊啊啊!!

Date: 2007-01-18 02:49 pm (UTC)
From: [identity profile] saltree.livejournal.com
我还是觉得光秀殿的ending比较orz....
PS:S殿和光秀殿那是有区别的,一个是大部分认的攻一个是压倒性多数认的受,当然,他们在我眼中都是强受.....

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Date: 2008-06-14 03:20 pm (UTC)
From: (Anonymous)
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